なにわのボン Diary

釣り大好き

入院16日目を経過

 入院から半月が過ぎた。

 車イス・歩行器・杖と術後の回復に合わせて自立歩行を目指す日々だが、先々日、階段の昇降、杖無しの歩行、フイットネスバイク使用など、リハビリの全カリキュラム終え、いよいよ退院かと期待したが、なかなか許可が下りない。が


 一昨日、看護婦長が部屋に来て「今週中の退院は無理ですね、来週には退院できるかな」という説明。「いいえ!大丈夫です 今週中の退院をお願いします」と懇願したが…。 次に主治医のF先生が回診「どうですか?」 私「大丈夫です、退院させてください」と懇願したが、「

??相談して・・・」と、明確な回答がない。

 この上は、リハビリの理学療法士にお願いするしかないかな?と思い、リハビリの最中に「もうリハビリのメニューはすべて完了ですか?」の問いに「すべてのメニューは完了、退院可能の域に達しています」との返事。「♪♪

 ところで、この病名「脊柱管狭窄症」とはどんな病気なのか? 簡単にいってしまえば、背骨の中心(狭窄菅)には神経が通っています。その部位に何らかの原因で変形した椎間板が突出(ヘルニア)したりすることで脊柱管が狭くなり、神経が圧迫されます。それが原因で出る痛みなどの症状のこと。 

 私の場合、40歳代に腰痛が出始めて、総合病院で診察の結果、ヘルニアと診断されました。当時は足先の痺れや一時的に強い痛みは出たのですが、すぐに痛みは小さくなり、医師の診断も「しばらく様子を見ましょう」という程度の説明でした。口の悪い友人などが「そのうち歩くことも出来なくなるそうですよ」と言われましたが、ほとんど信じてませんでした。

 その後、大きな痛みは出なかったのですが、60歳代頃から徐々に悪化してるという自覚症状はありました。痛みの強いときは杖を持つことも多くなりました。そして6,7年前ごろから腰の痛みは強くなり、太ももの後ろに激痛、足の裏の感覚が無くなり転倒など顕著な症状が出てきました。

 今(24日、金曜日、9時45分)看護師から明日退院ですと告げられた。よかった! 嬉しい、みんなに感謝、感謝。

退院・全快❓

 入院から十三日目、痛みは和らぎ、病院生活にも少し慣れてきました。さー退院?。

 術後の傷口は日に日に良くなっているようで、腰の痛みも日にち病と言われました。傷口に軽いかゆみが出てきたことを話すと、これも良い傾向ですねと言われました。それは良いのだが、一点、就寝途中の寝返り(右から左の)だけは強烈な激痛が走ります。これさえ消えれば良いと思っている。この痛みだけが不安で、一生完治しないのでは・・・と気がかりです。

 一昨日、午後のリハビリを終え、部屋を出たところのリラックススペースに座っていると、同部屋の方がいらっしゃったので、思い切ってお声掛けしてみました。

長い時間をアマゾンプライムで映画鑑賞

 

「どこを悪くされたのですか?」「椎間板の手術です」いろいろお話を伺うと。痛み、症状、経緯など共通点多く、ついつい話し込んでしまいました。約一時間半もの長時間、見ず知らずの患者同士が旧知の友がごとき話しっぷりでした。

 入院中は退屈な時間も多く、一日が長く感じてしまうものです。短い期間の入院ですが話の合うつかの間の友人を持つことも重要?

 このお話の後、急激に腰の痛みがなくなってきました。奇跡かも?

いざ手術


 9日午前9時15分、いよいよ手術、直前にLEG SCIENCE(レッグ サイエンス)という理学診療用器具の一種で簡単に言えば血栓が肺に飛ぶのを防ぐ器具(靴下)で、きつい目のナイロンストッキングである。(参考=『回復へ』の画像)

 

 「さあ!行きます」という看護師に、「逃げられたら逃げたい」と話すと、「そらそうですよ、私でも嫌ですもの」と言う返事、体にメスを入れるなんて誰でも怖くて、いやなものですよね。


ウン?何かで見た光景、そうそう昔懐かしいシーンの一幕だ、私が14、5歳時にテレビで放映された「ベン・ケーシー」というアメリカの医療ドラマである。

 ベッドからストレッチャーに乗せかえられて部屋を出発、上向きに寝ているので視界にあるのは天井だけ、手術室へ向かって天井が走る、通路を二度ほど曲がり、3階のエレヴェーターで階下へ移動、出たところで家内がお出迎え、「頑張って」の声援、コロナ禍ということで、長男夫婦も一緒だったが、感染防止のため面会は一人だけという規則になっている、そしていよいよ手術室、照明が眩しい、数名のスタッフが私を取り囲み、酸素マスク装着、点滴します・・・までは覚えていますが。

 と、これが一部始終です。初の手術体験、怖くないといえばウソになります。

 

 手術中の出来事は全くわかりません。無の世界●●●●●●

回復に向け

 40歳代から続いた腰痛。。。 次第に歩けなくなるよという話を聞きながら痛みを我慢してここまで辛抱してきたが、そろそろ限界点…。

 

 4月27日、日々痛みがひどくなるので、かかりつけ医に相談してみた。

 ボン(仮)=薬が効かないのでもっと強い薬は無いですか!

 先生=今どんな状態ですか?

 ボン=車を駐車した場所の往復(100m)も歩けないくらいです。

 先生=ナーボンさん そろそろ手術を考える時期やね。何年も前やったら進めへんけど、そろそろ手術を考える時やなー 良い病院紹介するから。

 ボン=(・・・・・)そうですか… では紹介をお願いします。

 

 ということで、かかりつけ医紹介の元、長年苦しんだ『脊柱管狭窄症』の治療にかかることを決意しました。

手術着に着替えて待ってます。


 5月13日に各種の検査、同17日精密検査、かかりつけ医の検査、各検査を終え、入院6月8日、手術9日と決定しました。

 5月から手術日まで不安な日を過ごしたがその日が来ました。(ドッキン、ドッキン)

ワクチン接種完了

 12日に三回目のワクチン接種(ファイザー)、で副反応は?

 私は当日の夜遅くから接種部位にズキズキと痛みが出てきました。家内も同様で翌朝も痛みはありましたが、その程度は二回目の時とほぼ同様でした。ところが、家内は三日目に手足の先が冷たく(悪寒)なったり、接種した側の脇や首筋のリンパ節の痛み、手先の関節部の痛みなど、少し辛い副反応が出ました。痛みが強いときには痛み止め(ロキソニン)を飲みました。三日目には手先の痛み以外は良くなったようです。五日目には接種部位の痛みもほぼ無くなりました。と、これが副反応の状況です。

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 ワクチン接種でまずはホッとしていますが、これで感染しないということではなく、重症化しないという程度、と考えておく必要があるようです。

 ご近所の高齢者がコロナに感染(二名.〈全快〉)、これを機に抗原検査用のキット(1.500円/個)を購入しました。念には念をかな……

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三回目接種は

 保健所からワクチン接種券は1月下旬に届いたのだが、かかりつけ医からの接種の予約案内が届かず。家内が何時になれば届くのかをかかりつけ医に電話で確認すると、ワクチンの入る目途がつかないのでしばらく待つようにということであった。

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接種券とかかりつけ医からの予約申込みはがき

 7日にやっと届きました。早々に病院へ行き予約を完了。今回のワクチンもファイザー製で、これで三回とも同じ種類のワクチン接種となる。3回目のワクチンを接種した友人に副反応について尋ねてみると、特に副反応らしいものは感じなかったということであった。(チョット安心)

 このワクチン、マスコミ関係は接種を推進するようにと連呼するが、本当に安全…? マー大丈夫でしょう。残りの人生10年程度(先祖の寿命を参考)、もしも……! があっても許容範囲としておこう。本気か?

 

コロナ禍・・「幸せ!」

 自室でパソコンの作業中、突然家内の叫び声「アーッ 幸せ!!」

 何っ!? 一体どうした? 寒さが続く日、温かい風呂に入って思わず叫んだようだ。

 

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昨年12月から1月中旬まで咲き続けた深紅のミニバラ

 

その叫び声に何か感じるものが…… 何れの夫婦にも覚えがあると思うのだが、出会い、恋愛、そして結婚、妻には一生幸せにすると誓いの言葉(私は言ってませんが)、そして50年が過ぎ家族は二人きりとなり、旅行や温泉も行きたいが、体調不良、病気、面倒くさい・・・等々で、家にこもりっきりとなった昨今、家内には申し訳ない(心底思ってませんが)とつい…… もっともっと素敵な風景の場所に連れて行ってあげたいナー と思ってしまいました。

 もっと幸せな夫婦は大勢いることだろう、もっと不幸な夫婦も多くいるだろう、人生様々、夫婦も様々、こんなバカなこと考えている私は幸せ者かもネ。