なにわのボン Diary

釣り大好き

五度目の退院

 本ブログのことだが、病気や入院の話ばかりとなり自分自身の趣味を綴る日記を目指していたが、目標が大きくは外れてしまったことをお詫びします。退院、回復後には釣りに出かけたい。

 今回の疾病により三度目の手術を受けた。入院期間は8日間で本日退院となります。手術から一週間という短期間で退院するのは初めてのこと。傷口の痛みもまだ大きいのですが… 最近は入院日数が短くなっているようです。

 病室から観る風景は日中はあまり好きではないが、夜はグッとロマンチック?にも見えてくる。南側はビッシリと建物が建ち並び、緑の少ない大阪らしい風景。

南側の風景

 一方。北側は大阪城公園がドンと居座り?大阪を代表する風景だ。OBP大阪ビジネスパーク)の中心に大阪城が居座る。

花博記念公園鶴見緑地の次に好きな大阪城公園 公園と大阪場のコントラストが好きだ

 退院日はウキウキする。子供の遠足日のように… 笑われるかもしれないが、この歳になっても子供ですな~ というより年々子供化しているのかもしれません(笑)

病床より

 最近、自分のr年齢のことや死後のこと等をよく考えるようになった。家内は身の回りの整理整頓を始めているし、私に大事なものと不要なものの分別や各種のID、PWを分かりやすくしておくようにと言ってきた。これはご近所の方が亡くなられた時にネット手続している各種契約の解約などの際にたいへん困ったという話を聞いてのことで、そういえば最近はネットで契約手続きをすることが多くなっている。また、そのほとんどがID&PWの設定を要求してくる。その結果、PWの管理が難しくなっている。最初はすべてのパスワードを同じにすればよいと思っていたが、それでは一つのパスワードを知られてしまえば、すべてがバレバレになるということで、管理はExcelのファイルに書き込んでいる。しかし、ファイルが何らかの方法で盗まれた時は大変なことになってしまいます。それではというので、バラバラのPWにすると接続時に毎回確認することになりこれがたいへん面倒である。デジタル化が進むのは良いことかもしれないが、いろんな難問が増えてきて困っている方も多いことだろう。

毎年切り詰めているのであまり大きくなってません。

 ところで、我が家の庭にある黒竹(クロチク)のことだが、毎年4月ごろには冬を越した竹の葉が黄変して散り始め、地表からは新しい竹の新芽が出てくる季節なのだが、今年は様子がおかしい。新芽は数本出てきたが細くて弱弱しく、また枝から稲穂のようなものが出てきてきれいな緑色の葉が出てこない。心配になり消毒してみてみたが変わりはなかった。病院から退院した4月中旬になると全体が稲穂のような葉で覆われ、黒竹の美しさが失われてしまった。心配なので、ネットで黒竹のことを検索してみた。

白丸の部分がクロチクの花です。


 ネットでは、黒竹に花が咲くのは非常に珍しく、120年に一度しか咲かないといわれてるそうです。我が家の黒竹は二十数年前に買ったもので、植えてから10年もすると根が張り、竹の子がいろんなところから出てきました。家内から竹の性質も考えずに植えるから手入れがたいへんになりますよと叱られました。また、さらに驚いたことは花を咲かせたのちには子孫(種)を残して枯れてしまうそうです。

 120年に一度の花とは今後二度と見ることができないということになります、このことが何か良いことの起こる予兆であれば嬉しいなと思っています。

闘病一年を経て

 昨年6月8日、長い間苦しんだ「腰部脊柱管狭窄症第3、第4腰椎すべり症」で入院、手術を受ける。が、脚の痛み、痺れは無くなったが、腰の状態はあまり良くならなかった。

 5か月後の11月2日、「腰椎椎間板炎、骨粗鬆症」で再入院、17日間の入院で炎症部の痛みは無くなったきたが、骨粗鬆症は長期戦での治療が必要だろう。

 翌年3月、腰の痛みが増してきたため、MRIなど各種検査を受ける。結果は骨粗鬆症により、腰椎を固定している金属ねじが緩んできたので再手術が必要という診断だった。

 再手術と聞いたとき、驚きよりも「やっぱり!」という落胆の気持ちのほうが強かった。また、これが最後の手術になりますように・・・と願うばかりでした。

3月30日に手術、事前の話では内視鏡による手術で前回よりも簡単に・・・という説明だったが、この手術はザックリと縦に二か所切開されました。(事前にあった主治医の説明を怖がっていたので隠していたのでしょうナー(笑))。

 再手術を受け、26日間の入院を経て4月23日に何とか退院しました。腰の状態は術前に比べて完治といえるものではなかったが、(・・・不安)

(主治医によれば骨粗鬆症による損傷部の再生ができるまで腰痛は続くということでした。)

 さらに、さらに・・・ 退院当日の昼、昼食後に突然意識が無くなり! 迎えに来てくれていた長男が心臓マッサージ、救急車で国立大阪医療センターへ運ばれ、しばらくの間入院することになった。

 翌日から頭の天辺から足の先まであらゆる検査が始まった。そして、新たな病が発見された。その手術を6月21日に受ける。昔から病院も検査も大嫌いだった私は、今や病気の総合商社になってしまったようだ・・・(誰かのセリフ?)

 術前は花博記念公園鶴見緑地を家内同伴でリハビリを兼ねて散歩、その後に最近公園入口前にできたスターバックスでコーヒタイムの日々、少しはリラックスできました。

 公園内のアジサイは満開で、いろんな種類のアジサイを鑑賞できます。昔はあまり好む花ではなかったが、なぜか最近見るのも育てるのも楽しくなってきました。歳のせいかも?

芝生はクローバーがイッパイ咲いてます。

本日入院、明日手術へ

 午前11時15分、家内とタクシーで病院へ、その後、入院手続き、PCR検査を済ませて4階の病室へ(家内とはここでお別れ)。4階の病室に入る。「また」此処へ来てしまいました、あまり嬉しくない懐かしさが… 入院は今回を最後にしたい(固い決意?)。

 釣りにも行きたいし、温泉にも行きたい、海外旅行にも行きたいナー。今や人生100年と言うが、元気な状態での長生きは誰もが喜べるが、病や不幸の中での長生きはできれば避けたいものだ。人生終盤、これからもいろんなことが起こるだろうが、ポジティブ(横文字は嫌いですが)でいつまでも元気でいたい。

 2月末、息子(次男)と京都府宮津の瑠璃浜にある別荘風洋風旅館?へ行ってきました。プール付き(今のシーズンは寒い!)で、広々とした温泉付きの一軒家の洋風建物で、近年、こういった宿泊施設が増えているが、私としては二人で利用するには無駄に広いだけで、勿体ないような気がしてならない(貧乏症やな~)。息子夫婦と別の建物なので、夜は二家族合流でのバーベキュー、食材はすべて持参、雰囲気は良いが季節は2月だ、「寒いッ」。でも、持参の食材が良かったか、雰囲気が良かったのか、久々の息子夫婦との会話で良い時間を過ごすことができた。

 翌日はシーズン終盤のカニをいただきに由良川の左岸、神崎海水浴場裏にある旅館でのカニ尽くしの食事、美味しかったというべきですが、腰痛が出てきたため食欲はゼロ、カニを味わうことも出来ずに今回のカニツアーを終えた。

 この日の後、腰痛が悪化し、旅行が良くなかったというのではないが、病の状態は悪化した。 

再々入院

 先月末から腰に強烈な痛みが出てきた。

 今月最初の診察日に主治医にそのことを伝えた。この日の診察は採血だけの予定だったが、急遽、CT検査するといわれた。で、その結果は手術が必要というものだった。

 原因は椎間板を固定しているボルトが骨の炎症で緩んできたためというもので、再手術によりボルトを少し太いものと交換、更に第3、第4の腰椎もボルトで固定して従来のものと繋ぐというのです。また手術か!! 「少し考えさせてほしいのですが……」と伝えて、しばらくの間(二週間)、様子を見ることになった。

 その二週後、24日の診察日に主治医から手術が最善の方法と言われました。もう覚悟するしか方法がありません、先生に「再手術でこの痛みは治りますか?」と尋ねると、「はい」と自信無げな返事(そんな風に聞こえました)。その診断に期待して再手術を決断しました。

うまい日本酒(風の森)、美味しいビール(スプリングバレー)しばらくの間、お別れです。

 昨年6月の手術からもうすぐ一年を迎えるが、一向に痛みから解放されないまま月日が流れてきたが、次こそ……の決断で、今回の再々入院、術後五日間はほんとうに痛くて我慢できないほど辛かったが、それさえ乗り越えれば…… 私のほんとうの春が来る。

退院は?

 14日、主治医の回診があり、16日のMRI検査の結果が良ければ退院です。という説明があった。やっと退院の目途がついた!と嬉しさがこみ上げてきました。

 16日、予定通り午後3時にMRI検査がありました。前々日の血液検査の結果では数値的(CRP)にはクリアーしているので,自分ではもう大丈夫と確信しました。(主治医も大丈夫でしょうという話でした。) 

CRPC-リアクティブ・プロテイン)は、体内で炎症や組織の損傷が起こると、それに対応するために増加するたんぱく質のひとつです。免疫の働きを高めたり、損傷した組織の修復を助ける働きがあります。

 検査当日の夕刻に主治医の回診がありました。結果はMRIで見ると入院時と変化は無く、椎間板の損傷部は回復していないということでした。いろいろ話を聞きましたが退院を確信していたのでガッカリ!

 明日の血液検査でCRPの数値が低ければ一時退院し、安静第一で外出禁止を守りながら自宅療養(抗生物質の薬と骨粗鬆症の注射、軽度の運動)しても良いという説明を受けました。

 17日、血液検査の結果、CRPの数値は低いということで退院の許可が出ました。やれやれとは思うが、腰痛はまだ続いているし、自宅療養も難しいことではあるがとにかく退院したいと思う気持ちが優先し、一時的かもしれないが家に戻ることにしました。

無病息災が・・・

 学校卒業以来、三十代に十二指腸潰瘍(吐血)、その後は病気知らずで今に至っているが、職場の健康診断もほぼ受けず、幸い大きな病気も患わず過ごしてきた。運が良かっただけという人もいますが、その通りかもしれません。

 四十代後半に腰痛が強くなり、ヘルニアと診断されましたが、何とかだましだまし過ごしてきました。六十歳を過ぎたころから腰痛が次第に悪化、6,7年前から足のしびれが強くなり、腿の後ろの痛みが強くなり、長時間の立ちっぱなしで足の裏のしびれで感覚が麻痺し、転倒することもありました。

一日の投薬数

 ここ5年間で数か所の病院によるMRIなどの検査の結果、脊柱管狭窄症と断定された。それでも病院嫌いのため通院は途絶えがちとなりただ耐えるだけの日々でした。今年になり、痛みで歩行も困難な状態となり、今年5月にかかりつけ医の勧めもあり、専門病院を紹介していただき、診察の結果手術を勧められた。その過程による検査の結果、高血圧、糖尿病、心臓病など軽いものでしたが病気が判明した。

 薬といえば飲みすぎ、食べ過ぎの際に常用するキャべ・ンぐらいで、普段は薬を飲むこともほぼ無かったのだが、ここに至り、薬の一日の投薬数は七種類で18錠となりました。一生飲み続けなければいけない薬もありますが、この数の少なくなる日を待ち望むばかりです。